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思い出 -2004年08月05日

「黄昏のころ私はおばと並んで門口に立っていた。叔母は誰かをおんぶしているらしく、ねんねこを着て居た。その時の、ほのぐらい街路の静けさを私は忘れずにいる。・・・」(太宰治「思い出」)

「人はなぜ追憶を語るのだろうか。
 どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。--だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみそっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識に続けながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持がするのだろうか。」(北杜夫「幽霊」)

「ゆうぐれ、川原の土手の草のなかに、ぼんやりと寝ころんでいた。見あげる空が突きぬけてひろかった。
 川水の音を聞きながら、ぼくは考えた。空のふかさについて。そのふかさにつもる時間について。時間のひとすみにうごめく人間について。
 そしたら思わずくしゃみがでて、ぼくというちっぽけな人間なんか、世にもつまらなく思われた。そこらにころがっている木の根っこと変りがない。そんなふうにして、ぼくはたそがれてゆく空のかげりを長いあいだ眺めていた。このまま木の根っこになってしまえばよい。わざと、木の根っこのふりして、じっとしていた。」(北杜夫「少年」)

Posted at 19:45 | 生い立ちの記


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